「マイケル、カッコイイ!!」この一言で済ませたいぐらいのコンテンポラリー・アコースティックジャズの快作です。前作の「Tale From The Hudoson」を含めて多くのアルバムで共演しているパット・メセニーが参加していない(何故ならレコーディングのためにビッグネームを迎えてではなく、マイケル自身のレギュラーバンドでの録音なので)こともあって、マイケルがとにかく吹きまくる吹きまくる。
レギュラーバンドでの演奏だからでしょうか、非常にまとまりがあり、まるで重機が地を這うようなサウンドです。前作の「Tale From The Hudoson」のような派手さはなく、どちらかといえば渋めのアルバムだと思います。1曲目のイントロからぐいぐいマイケルの世界に引き込まれますが、特に4曲めの「El Nino」が好きです。この曲はこのバンドでピアノを弾いているジョーイ・カルデラッツオの作品なのですが、このアルバムでは3曲提供しています。クロージングはジョーイとのデュエットの「Skylark」なのですが、アメリカ盤では未収録です。何故でしょうか。とてもこのアルバムのクロージングとして相応しいと思うのですけれども…。
98 ’Standing Togerther(GEORGE BENSON)
私が働いている職場は転勤が多く、その時には2〜3人が引っ越し部隊として転勤先までお手伝いに行くのが慣例になっていました(今はだいぶなくなりました)。僻地に勤務していた頃、上司が札幌に転勤することが決まりました。その時きんたこは何故か旭川に行くことを命じられました。その上司の持ち家が旭川にあり、札幌へ運べない荷物を持ち家に運ぶことになったからです。かの僻地から旭川まで2時間30分。音楽の趣味の異なる同僚がきんたこの運転する自動車に同乗しました。こういう時は気を使います。僻地や山間部はFMはもちろんAMさえも電波が届かないので、BGMがわりラジオをかけてもノイズしか入らないからです。気まずい沈黙を作らないためにお互いに他愛のない会話を続ける努力をしていました。ようやく旭川圏内に入りFMが入るようになりました。
その時です。「You Can Do it baby〜」と聴き慣れた声にギターとのユニゾンスキャット。なんとカッコイイ曲なんでしょう!そして後日「You Can Do it baby〜」というフレーズを頼りに、このアルバムを入手したというわけです。このアルバムはジャズやフュージョンではなく(行ったことはないのですが)クラブ系のポップスアルバムです。「You Can Do it baby」はアメリカ盤未収録だそうで、何故なんでしょう。こんなにカッコイイのに…。
98 ’SONGS THE ART OF THE TORIO VOL.3(BRAD MEHLDAU)
一聴すればただのピアノトリオでないことはすぐにわかると思います。喩えれば、レストランではかからないし、カクテルバーでも無理。ジャスを聴かせる喫茶店でないとかけられない。ブラッド・メルドーの奏でる高い叙情性に耳を奪われてしまい、姦計の思いに満ちた恋の語らいさえばかばかしく感じられるに違いありません。
決して明るいアルバムではありませんが、聴いていて落ち込んでしまうようなこともありません(元気が出るわけでもない)。それは軟弱な演奏でないからだと思います。かといって粒の揃った力強い演奏というわけでもありません。刃先鋭く、触れる者皆傷つけるような硬質なわけでもない。繊細−しかし毛むくじゃらのごっつい指先で掴んでも音も立てずに砕け散ってしまうことはない。それがどうしたとふてぶてしいまでの自我は決して潰されない。メルドーは「新しいジャズ」を開拓する人というよりも、自身の「ジャズ」を掘り下げている印象があります。そしてその鉱脈を掘り当てていて現在進行形で深めているのです。
気難しい人だという話を聞いたことがあります。お客のアンコールにも応えないとか…。数年前、札幌の道新ホールでコンサートを行なった時に聴きに行ったのですがそんな気配はありませんでしたが。アンコールにも応えてくれましたし。機嫌がよかったのかな。
私の20代後半は鉄人の時代でした。夜は21時まできっちり働き、それから釧路の繁華街である末広にまで出かけて24時までがっつり飲酒する。タクシーで25時までにはアパートに帰って、朝は6時に起床、7時には職場で仕事の準備を難なくこなしていました。しかも今よりも高度な仕事でしたから、恐るべき若者でした。今の私からは信じられないほどの活動力を発揮していました。
紋別に転居してからは静かにしていました。釧路と違って町が小さいので、大騒ぎすればすぐに顔が割れてしまいます。スナックでの大騒ぎはすっぱり止めて、美味への追求に走りました。「レストランあんどう」でのビーフシチューとハンバーグ、最高の旨さとリーズバブルなお値段の「鮨元」、特別な日に行きたい「一法亭」、量・質ともに札幌の人気店レベルの中華料理の「珍満」、そして爽快な劇辛カレーの「矢車」。興部のノースプレインファーム。北海道の美味しいモノは釧路と紋別とでほとんど味わってしまった感じがします。
しこたま飲んで食べた後に歌うこともあったのですが、そのときは必ず「東京は夜の七時」を歌いました。たぶん他人からは奇矯なやつだと思われていたでしょうが、東京を捨てて北海道に骨を埋める覚悟で真剣に歌っていました。そして歌うたびに、私にとっての「東京」とは実態のない虚像であることを噛みしめていました。
釧路に住んでいたときのことです。その日は休日で、ちょっと遠いけど厚岸まで牡蛎を食べに行こうと独りでドライブに出かけました。積んでいたCDに飽きてしまったので、ラジオをかけると何とも懐かしい雰囲気の曲が流れてきました。フォークソング〜ニューミュージックといった感じでしょうか。声は確かに聞き覚えがある。もしかすると…。曲が終り曲目の説明は『高浪敬太郎のソロアルバム「SO SO……」から「ラヴ・ダイアグラム」でした』早速帰りにレコードショップへ行きました。
高浪敬太郎はピチカートファイブのオリジナルメンバーで、小西康陽のようなひねりはない素直な曲を提供していました。その優しい声と曲に満たされたこのアルバムは、小西のような「キャッチ−」を追ったのではなく、先に述べたようなどこか懐かしい感じでいっぱいです。ピチカートファイブの「コズミック・ブルース」のセルフカバーが入っていますが、私は高浪版のほうが好きです(ちなみに私の愛唱歌です)。
とにかく懐かしく「ほっ」とするアルバムです。2ndの「エヴリバディズ・アウト・オブ・タウン」まではきちんと追い掛けていたのですが、3thアルバム「life−size rock」が出たのを知らずに買いそびれてしまいましたが、オークションを利用して入手することができました。ちょっとマイナーな廃盤が容易に入手できるようになったのは、インターネットのおかげです。
完全なジャケ買いで、1st「海へ行くつもりじゃなかった」を購入しました。そのフレッシュさが気に入って、BGMがわりにずっと流しっぱなしで聞き続けたフリッパーズ・ギターですが、2ndはバンドから小山田・小沢のKOユニットになってしまい、どうなってしまったかと聴いてみると、日本語で歌っていることにまずびっくり!更にポップなだけでなく、ちょっと捻ったでキャッチ−さに深みが出て「これはイイぞ!」と思いました。
やがてTVの主題歌にも使われて、一般的な人気を得るようになってびっくりしました。「そうだよなぁ、イイもんなぁ」ちなみにお気に入りは「午前3時のオプ」で、アルコールが入るとCDに合わせてよく歌ったものでした。
インナーの写真の小沢健二の格好が実にシックで素敵です。真似をして、オシャレなショップで購入したタートルネックにグレンチェックのジャケット、そして黒いパンツといった出で立ちで帰省したところ。「…らしくないわね」と母親にいわれてショックでした。
この頃は完全に「ピチカートマニア」になっていて、世を席巻していたイカすバンドたちにはまったく興味がありませんでした。ピチカートファイブのようなポップでキャッチ−な音楽を探してジャケ買いもけっこうしました(はずれも多かった)。失敗したCDは景気よく人に譲っていましたが、現在、入手困難で値がついたものもあり、自分の愚かさに気付くのにはまだ時間がかかりました。ジャケ買いのときに気をつけていたことは、「マイナーだがフレッシュな感覚をもつもの」でした。やがてその時に買ったCD群はメジャーな音楽となり、俗に「渋谷系」と呼ばれるようになるとはその時には思ってもいませんでした。また、すっかりフュージョン化していたジャズがアコースティックに回帰し始めました。この頃から私はジャズを熱心に聴くようになりました。そして渋谷系と呼ばれるJ-POPとも決別してしまったのです。
紋別に住んでいた頃です。残業中に同僚が聞いていたのを横聞きしたのがキリンジとの出合いでした。妙に懐かしい感じのする(自分には何故かフュージョンを思い出させました)アレンジに、新しい何かを感じさせるメロディにいっぺんにお気に入りミュージシャンの仲間入りになりました。
堀込兄弟の作った楽曲がサンドウィッチのように折り重なって構成されています。私は弟の高樹のメロディセンスに強く惹かれます(かといって兄の泰行がよくないとは思っていません)。このアルバムではファンの間でも人気が高い「雨を見くびるな」,「ニュータウン」がお気に入りです。しかし一番好きな曲は4thアルバムに収録されている「雨は毛布のように」なんですけどね(この曲もファンの間では人気が高いようです)。
当時は訳あって週末は稚内へ遠征していました。その時にこのキリンジのアルバム(1st&2nd)を流しっぱなしで自動車を運転したものです。このCDばかりを延々とリピート。とにかく好きでしたね。あ、今だったら片道4時間以上のドライブなんてできませんよ。基本的に自動車の運転が嫌いなんです。(^^;
かつてフジテレビ系で早朝に「ウゴウゴルーガ」という番組がありました。大昔にやっていた「カリキュラマシーン」や最近の「天才テレビくん」のような番組で、コンピュータアニメのキャラクターと実在の子ども(ウゴウゴくんとルーガちゃん)が絡む内容で、ちょっと教育的とはいえない大人向けの子ども番組でした。やがて「ウゴウゴルーガ2号」として夜にも進出しましたが、その時のオープニングがピチカート・ファイヴ(野宮時代)の「東京は夜の7時」でした。その曲は私の大のお気に入りでCDの購入はもちろん、カラオケの定番にもなりました。話がずれましたが、その「東京は夜の7時」の編曲およびリミックスが福富幸宏です。
福富幸宏の名前は知っていたので、レコード店で早速探して購入したのがこの2ndアルバムでした。帯に「音響の快楽」とありますが、まさにそのとおりで、Kraftwerkが大好きな私にとってはすんなり入っていける世界でした。同じフレーズが延々と続くいわゆるハウスミュージックなのですが、私のつぼをなんとも押さえてたリズムなのです。
やがて福富幸宏はレコード会社をエイベックスに移籍するのですが、ソニーのサイバーショットのCMに使われた「Revisions」が収録されたCDが、かのCCCDなのには参りました。しかたがないのでアナログレコード(おそらくDJ用途なのでしょう)を探して購入しました。私はCDをCD-Rに焼いたり、MDに録音して人に配付するようなことは絶対にしません。しかしCCCDによってCDプレーヤーが破壊されてしまっても、レコード会社は知らぬ存ぜぬということが許せません。正規のユーザーが馬鹿を見る規格は絶対におかしいと思っています。その後、CCCDは自然消滅してしまいました。
ピチカートマニアになると、自然にバート・バカラックのファンになってしまいます。バカラック選集のCDを何枚か買いましたが、所詮は寄せ集め。いい曲だなぁとは思いつつ、その散漫さにうんざりしてしまうのも仕方がありませんでした。
96年にTBS系金曜ドラマ「協奏曲」(田村正和、木村拓也、そして宮沢りえ主演)が放映され、その主題歌にバカラックの「Alfie」が使われました。それに乗った訳ではないのですが、阿川泰子のバカラック集「CLOSE TO YOU」がリリースされました。これはアレンジが現代的な打込みで、それまでの阿川泰子の「ジャズ」とは違った面白さのあるアルバムです。ちなみに「Alfie」は収録されていません(主題歌はヴァネッサ・ウィリアムスが歌ってました。もちろんCD、買いました)。
「バカラックを現代に歌う」といったコンセプトアルバムなので聴きごたえ十分。特に福富幸宏のトラックが例の調子で何とも気持ちがイイ。1曲目「THIS GUY'S IN LOVE WITH YOU」の出だしの「チーン、チチーン」が綺麗に出るか、その後の「ぐおーん」の低音の量感は十分かといった感じで、一時はチェックディスクとしても使っていました(ちなみに翌97年にはMcCoy TYNERのバカラック作品集がリリースされました。これも買いました)。